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鳥海 (重巡洋艦) : ミニ英和和英辞書
鳥海 (重巡洋艦)[ちょうかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とり]
 【名詞】 1. bird 2. fowl 3. poultry 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
巡洋艦 : [じゅんようかん]
 (n) cruiser
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

鳥海 (重巡洋艦) : ウィキペディア日本語版
鳥海 (重巡洋艦)[ちょうかい]

鳥海(ちょうかい/てうかい)は、日本海軍重巡洋艦#達昭和3年4月p.21『達第五十六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和二年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和三年四月十三日 海軍大臣岡田啓介|三菱造船株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一萬噸級巡洋艦 鳥海(テウカイ)』〕。一等巡洋艦高雄型の3番艦〔昭和3年11月7日付 海軍内令 第313号。〕〔#聯合艦隊軍艦銘銘伝96頁〕〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.1『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|一等|高雄型|高雄、愛宕、鳥海、摩耶』〕。艦名は秋田山形県境の鳥海山に由来する〔#寄贈品受領に関する件p.2『今回本艦艦名ニ因メル鳥海山所在地方ヨリ左記ノ通リ寄贈方申出有』〕〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.35『鳥海(てふかい)【初代】 艦種:砲艦 二檣「トップスル・スクーナー」姉妹艦に摩耶・赤城・愛宕あり。|艦名考:山名に採る、鳥海山(てうかいざん又とりのうみやま)古名を羽山と云ふ、羽後國飽海・由利の二郡に跨る、標高7,006尺(艦歴略)』〕。艦内神社鳥海山大物忌神社より分祀された〔#寄贈品受領に関する件p.2『一、宮殿(御神霊奉安殿) 一宇 寄贈者 国幣中社大物忌神社』〕。この名を持つ日本海軍の艦船としては摩耶型砲艦鳥海に続いて2隻目〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.125『鳥海(てうかい)【二代】 艦種:一等巡洋艦高雄型|艦名考:初代鳥海の項参照』〕。なお、艦名は海上自衛隊こんごう型護衛艦の4番艦「ちょうかい」に受け継がれている。
書類上は日本で竣工した最後の重巡洋艦(一等巡洋艦)(最上型利根型は軽巡洋艦(二等巡洋艦)として計画され喪失まで書類上の変更はなかった)であった。
== 艦歴 ==
鳥海は1928年(昭和3年)3月26日三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で起工された〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『鳥海|一等巡洋艦|(艦要目略)|三菱長崎造船所|3-3-26|6-4-5|〃|(艦装備略)』〕。同年4月13日附で鳥海と命名された〔。1931年(昭和6年)4月5日に進水〔。1932年(昭和7年)6月30日に艤装員長細萱戊子郎大佐の指揮下就役する〔。姉妹艦の摩耶と同日附の竣工であった〔#昭和12年12月1日現在艦船要目公表範囲p.4『摩耶|一等巡洋艦|(艦諸元略)|神戸川崎造船所|3-12-4|5-11-8|7-6-30|(装備略)』〕。竣工後の鳥海は艦隊の旗艦を度々務めたが、これは客船建造の経験豊富な三菱が造船を担当したことから同型艦と比べて艦内艤装が良かったためといわれている〔丸スペシャル121号、52頁〕。同年12月1日には高雄型4隻で第四戦隊を編成した。
1933年(昭和8年)には第二艦隊旗艦となり、同年夏の特別大演習に際しては青軍の前衛部隊旗艦を務めたが、演習中に短波通信が一時不能となったことから海軍の通信関係者の間では「鳥海事件」とも称される問題になった〔高雄と愛宕が改装工事で後部マストを移設したのは、この通信異常を起こした原因として高雄型の前後マスト間隔が狭いことが挙げられたためであった。〕〔丸スペシャル121号、79-80頁〕。演習後は横浜沖で開かれた観艦式で御召艦比叡の供奉艦(先導艦《鳥海》、供奉艦《愛宕、足柄》)となった。同年末には無線設備を一部改装、翌1934年(昭和9年)以降も第二艦隊旗艦を務める一方九一式高射装置の設置や機関部の小改装を実施し、1936年(昭和11年)10月に神戸沖で開かれた大演習観艦式では再び御召艦比叡の供奉艦(先導艦《鳥海》、供奉艦《愛宕、足柄》)となった〔丸スペシャル121号、46頁〕。観艦式後、鳥海は横須賀に戻る戦艦比叡と供奉艦時雨白露を見送った。その後、改善工事に入り前部マストの短縮や後部マストのデリック換装、毘式40mm単装機銃の撤去と九三式13mm四連装機銃の設置といった改装が施された〔艦船模型スペシャルNo.26、76頁〕。
1937年(昭和12年)7月に鳥海は改善工事を終えたが、前後して日中戦争が勃発したことから第四戦隊は旅順を拠点にして黄海沿岸での作戦支援に当たった〔『高雄型重巡』、20-21頁〕。1938年(昭和13年)春に高雄愛宕が改装工事に入って戦列を離れた後も摩耶と第四戦隊を組んで日本本土近海で訓練を行う。その一方、第二艦隊旗艦として中国沿岸に進出、同年10月には連合艦隊主力による示威行動の一環として廈門に寄港している。1939年(昭和14年)も前年同様、摩耶と訓練や大陸方面での作戦に当たっていたが11月に竣工直後から所属していた第四戦隊を離れ、以後は1940年(昭和15年)10月まで第二遣支艦隊旗艦となった〔丸スペシャル121号、51-53頁〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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